核家族になって誰からも教えて貰えなかったことや
間違った知識など聞いてね。
2024-11
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今日は 看護の日なので 看護に関わった子ども時代から事を
お話しますね。
疎開先で 畑仕事をしたことの無い母が疲れて 高熱が出たので
病院から往診に来てもらったのですが 注射が合わなかったのか
死んでしまったのです。 それ以来お医者さんは 大嫌いだったのです。
母の急死で 心臓の弱い父が寝込み 小2のママが 看病をして
下の世話もしていたのです。 毎日リンゴをすって ガーゼでこして
食欲の無い父に飲ませていましたが 3月後には 亡くなったのです。
りんごの匂いが部屋中に 充満していた感じで大人になるまで
見たくも無かったのですよ。
結婚して パパさんの両親と仲良くしていましたが 検査入院の時に
姑が亡くなったのです。仲の良かった夫婦だったので
舅も様子が可笑しくなり 病院に入院しても 義母を探して徘徊するので
ベッドに両手足を縛られていたのです。
可哀想で哀れで情けなかったのですよ。仕事の帰りには毎日
梅田の済生会病院まで看病に行っていましたが ロッカーに汚れ物が
こんなに汚すのかと思うぐらい入っていて 洗濯をしても追っつかない
状態で大変でした。食べるのも困難だったのですが 箸を持たせ
横から 口に入れて「上手に食べられたね~」と褒めると
徐々に箸使いも復活して 豆もつまめる様にまでしたのです。
そんな矢先に たまからちゃんが 風邪から食欲不振になり
脱水状態 硬直も始まっていましたので救急病院に入院
まばたきもせず 目を開けたままで眠って 全神経がストップ
何ヶ月も続いたのですよ。 このことは 次の
どうしたの・・・ ←クリックして見てね。
そしてママが入院した時は
妹が 院内散歩や トイレにも毎日付き添ってくれたので
元気を貰えました。 ママがお世話になっている 岸本院長先生に
お目にかからなければ 一生 病院の先生を信用しなかったと思います。
誰彼の差別無く 優しい笑顔で 覗きこみながら 的確に対処される
素晴らしい人情味があり 早朝からマラソンをされ 午後の休診の時は
水泳をなさるスポーツマンの先生なのです。
ママの大手術の時も 麻酔が切れそうな朦朧とした手術後に
大阪の警察病院まで 顔を見に寄ってくださったのです。
看護の経験も 看護される経験も充分体験しています。
今日の更新 http://ameblo.jp/tamakara/毎日の流れ・・・を見てね。
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