核家族になって誰からも教えて貰えなかったことや
間違った知識など聞いてね。
2024-11
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小学2年生で両親を亡くしたので 4年生の時には
見たことも聞いたことも無い岐阜県の田舎に
働き手として貰われたのですから 夢と希望ばかりでした。
貰われた家には 電気 水 トイレ お風呂も無く
不便と暗くて怖い生活だったのよ。
普通の生活がしたい 両親や兄弟と暮らしたいと
何度も思っていました。
ご飯は有っても 塩だけで おかずも無いのです。
子守の仕事に行けば 南瓜やじゃが芋の煮物が
おやつにと置いてくださるので美味しかったわ。
毎日 義父に10円持たされて 駄菓子屋に
あめや 南京豆を買いに行かされても 一粒も
呉れようとしなかったのよ。
近所の人には 毎日おやつ買って貰えて良いね・・・と
云われたら ハイと云っていたけど どんなに
食べたかったか 悲しかったわ。
山の畑で一人で大根の葉の薬をつけている時に
大きな木の側には 不思議な国のアリスのような
世界を想像して ドアを開けて夢の世界の生活を
していたのよ。戦争が無ければ 両親も生きていて
4人兄弟が バラバラに貰われる事もなかったのに。
大人になったら 大勢の人と付き合い 子ども達が
不幸にならないような生き方をしたいと常に考え
夢が実現する度に 過去に感謝しています。
世界が平和になり 親子が悲しい別れが無いように
今も心と身体の健康相談をしながら 悩みを聞き
相談に乗っています。
今日の更新 http://ameblo.jp/tamakara/毎日の流れ・・・ 見てね。
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